• 第一章:【裁決】の君主の「“氷雪の庭院”」

    「“旧紀元”」の終章は、一場の盛大な迷霧の中で、幕を閉じた。
    私には見えた。衆(しゅう)の声は喧(かまびす)しく、万物は、欲望の熱風の中で本来の輪郭を失っていた。‘真’と‘偽’、‘美’と‘醜’が混淆(こんこう)され、一枚の密不通風(みっぷうつうふう)の巨網(きょもう)へと編み上げられていく様が。

    私は、秩序を渇望する。万物を再び「“測り”」直せる標尺(ものさし)を渇望する。
    しかし、その「“標尺”」は、一体、何処(いどこ)にあるのか?
    世界そのものが、既に流砂と化してしまった時、我らは、如何(いか)にして、
    かの、我らをしっかり立たせるに足る磐石を、見つけられようか?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【裁決】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。

    私には見えた。あの、寒氷(かんぴょう)にて鋳(い)られた「“大門”」が、私のために、ゆっくりと開かれていくのが。

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  • 第二章:【覚醒】の神祇(しんぎ)の「“氷を砕く声”」

    「“凛冬(りんとう)の清寂(せいじゃく)は、私に秩序の「“筋骨”」(きんこつ)を洞察させた。 【裁決】の君主の氷雪の庭院にて、私は、あの、我が「“足場”」を「“固める”」に足る内なる磐石を見つけた。私は、自分が「“既に”」 「“完整”」(かんぜい)(“完全”)で「ある」と「“思った”」。
    しかし、秩序の極致とは、「“硬直”」の「“前兆”」では「“ない”」だろうか? 「“完璧”」なる「“旧世界”」は、如何(いか)にして、「“不完璧”」では「“ある”」が「“真新しき”」 「“”」を「“迎える”」ことが「“できる”」のか?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【覚醒】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第三章:【癒し】の神祇(しんぎ)の「“雨中の蓮台”」

    「“「“氷を砕く”」 「“残響”」が、今なお、私の「“魂”」の中で「“震え”」ている。私は既に「“悟った”」。「“不完璧”」なる「“裂痕”」(れっこん)こそが、「“生命”」の「“勲章”」で「ある」と。私は「“もはや”」「“新生”」を「“恐れ”」ない。
    しかし、私が「“新生”」という「“真新しき”」 「“画布”」(キャンバス)を「“広げた”」時、私には「“見えた”」。あの、「“旧き我”」に「“属する”」 「“傷痕”」が、依然として、画布の上に「“深き”」 「“印影”」を「“残して”」いるのを。
    私は「“悟った”」。「“再生”」とは、「“忘却”」では「“ない”」、と。
    では、我らは、如何(いか)にして、「“過去”」の「“傷痕”」と「“共存”」すべきか? それを「“隠蔽”」し、「“切除”」すべきか? あるいは、存在するのか、「“より”」 「“優しき”」 「“智慧”」が。「“傷痕”」そのものをも、「“新生”」の「“一部”」と「“為す”」ことができる、
    「“智慧”」が?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【癒し】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 【勇気】の神祇(しんぎ)の「“崖の野火”」

    「“【癒し】の春雨は、私を「“過去”」と和解させてくれた。私は、今までにないほど自らが「“完整”」(かんぜん)(“完全”)で「“柔らか”」で「ある」と「“感じる”」。
    しかし、「“完整”」なる「“心”」とは、「“無防備”」なる「“心”」でもある。私には「“鮮明”」に「“見えた”」。 「“世界”」に「“流れる”」 「“苦痛”」と「“涙”」が。私は「“悟った”」、「“生命”」とは「“それ「“自体”」が、「““枯凋”(こちょう)「“「“運命”「“づけられた「“咲き誇り”」で「“ある”と。
    かくして、「“恐れ”」が「“生まれた”」。
    我らは、「“愛”」と「“美”」の「“脆弱”」(ぜいじゃく)さを「“見”
    「“届けた「“後”」、 「“何処(いずこ)「“より「“力”」を「“汲み”」、「“引き続き「““熱烈””に「“生きる”「“べき「“か”」? 「“柔らか”」なる「“心”」は、如何(いか)にして「“勇敢”」に「“なれる”」のか?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【勇気】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第五章:【豊穣】の君主の「“黄金の果樹園”」

    「“【勇気】の炎が、私の「“行く手”」を「“照らして”」くれた。私は「“もはや”」「“燃焼”」を「“恐れ”」ない。 「“そして”」「“それ「“故”」(ゆえ)「“に”」、 「“初めて、「“真”(しん)「“に”」、「“この「“世界”」の「“寛大”さ」と「“美”しさ」を「“見”た」。「“「“”」、「“万物「“開かれた”」。
    しかし、私が「“この「““目**”「“も”「“(くら)「“「“ばかり”「“「“美”(“琳琅”)「“抱擁「“始めた”「“”」、「“新”たな【「“枷”(かせ)「“”」、「“密(ひそ)「“「“「“作られ”「“ていた”」。「“それ”は、【「““喪失”「“へ”の【「““恐れ”
    我らは、如何(いか)にして、 「“この”
    「“世界”」「“素晴らしさ”」「“深く【「““体験”「“し”」、「“同時【「““所有”「“の”【「““欲望”「“【「““縛られ”「“ずに”「“いられる「“か”」?【「““真”「“の”「““豊穣”】とは、【「““より”「“多く”「“持つ”」「“こと「“な”「“”」、「“あるい”は、「“一種”の、「“全く”「“「“なる”【「““智慧”「“「“存在”する「“のか”」?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【豊穣】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第六章:【神匠】グランドマスターの「“静寂の工房”」

    「“【豊穣】の智慧が、私を「“所有”」の「“焦慮”」(しょうりょ)から「“解放”」してくれた。私は「“もはや”」 「“飢えたる「“索取者”」では「“なく”」、 「“豊かなる「“”」「“となった”」。私は「“感じて”「“いる”」、「“あの【「“創造”「“したい”」、【「“流れたい「“という【「“衝動”
    しかし、この「“無限”」の「“生命”」(いのち)の「“流れ”」は、 「“また、【「“無限”「“の”【「“可能性「“「“もたらし”」、私を【「“選択”】「“【「“迷惘”(めいもう)「“「“陥らせた”」。 「“一切(すべて)が、「“試す”「“こと「“が”「“できる「“時”」、私は「“かえって”、「“心”を【「“何処”(いずこ)「“【「“安”「“んじ「“たら”「“よい「“か”」「“「“知ら”「“”」。
    「“無限「“可能性”」【「“即時「“の”「“満足「“「“煽(あお)「“「“時代”」「“「“おいて”」、「“あの【「““一生”「“に”「“して「““一事”(いちじ)「“を”「“なす「“という【「““緩慢”「“なる「““専注”(せんちゅう)(集中)「“【「““価値”「“は”「“一体”「“何”「“「“ろう”【「““一つ”「“「“道”「“を”「“選ぶ「“こと”は、「“【「““その他**”「“すべて”「“「“道”「“へ”の【「““裏切り”「“を”「“意味する「“のか”」?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【神匠】(しんしょう)の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第七章:【栄光】の神祇(しんぎ)の「“万灯(まんとう)の慶典”」

    「“【神匠】(しんしょう)の静寂が、私に「“如何(いか)「“にして「“心”」を「“一物”(いちもつ)「“に”「“注ぐ「“か”を「“教えて”くれた」。私は「“自ら”の「“工房”で「“時”を「“忘れ”」、「“この”「“(せい)「“「““最”「“も”「“満足「“の”「“いく「“作品”」「“「“創造”「“した”」。私が「“祂”(それ)「“の”「““輝く「““光”「“を”「“見て「“いた”「“”」、「“一種”の、【「““栄光”「“と”「“名付け「“られた”【「““感情”「“「“【「““胸「“を”「“満たした”」。
    しかし、私が「“この【「““栄光”「“を”「“携えて「“工房”を「“出た”「“”」、私は「“一抹”の【「““孤独”「“を”「“感じた”」。「“この”【「““光”】は、「“ただ【「““私”「“自身「“「“照らした”「“だけ「“だった”」。
    我らが「“創造”する【「“
    “成就”「“本当”に、【「““我ら”「“自身”「“に”「“だけ「“属する”「“「“か”」?【「““栄光”「“とは【「““勝利「“者”」「“に”「“戴冠する【「““孤独「“な”「“王冠”」「“「“のか”」?「“それとも【「““無数「“の”「“”」「“【「““共「“に”「“編み上げた”【「““共生”「“の”「“花環”」「“「“のか”」?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【栄光】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第八章:【繋がり】の神祇(しんぎ)の「“万物の息吹”」

    「“【栄光】の幾千幾万の灯火(ともしび)が、私に「“我”」と「“我ら”」との【「“「“の”「“繋がり】を「“見”「“せて”くれた」。私は「“もはや”「“孤島”」では「“なく”」、「“大陸「“の”【「“一部「“この”【「“帰属「“意識”「“比類”なく【「“温かい”
    しかし、私が「“人類”」という「“温かき”
    「“大陸「“「“上”に「“立ち”」、【「“対岸「“「“望んだ”「“”」、私には「“見えた”」。「“あの【「“沈黙”「“する”【「“森林「“”」、「“あの”【「“無言「“【「“星辰”(せいしん)「“”」。「“一道”(ひとすじ)「“の”【「“「“たな”「“境界「“、【「“我ら”「“と”【「“彼ら「“「“隔てて”「“いた”」。
    この、「“人類”」と「“万物”」を「“隔てる”」【「“境界】は、【「“真実”なのだろうか? それとも、 「“ただ”「“「“我ら”「“【「““感覚”「“「““一種”「“「““錯覚”「“な”「“のか”」?【「“‘我’「“の”【「““意識”「“「“一体【「“何処”(いずこ)「“【「““途絶え”「“そして【「““世界”「“の”【「““意識”「“「“また【「“何処「“から【「““始まる”「“のか”」?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【繋がり】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第九章:【平衡】の神祇(しんぎ)の「“風の中の羽”」

    「“【繋がり】の智慧が、私を「“万物”」の「“「“溶け「“込ませた”」。私は「“かつて”「“風”」「“であり”」、「“雨”「“であり”」、「“大地”「“【「““共通”「“の”「“呼吸”」「“であった”」。「“あの”【「““一体”「“【「““狂喜”」「“「“「“なお”「“私”の【「““魂”「“の”「“「““響いて「“いる”」。
    しかし、私が「“この”
    【「““身「“に”「“回帰した「“”」、私に「“見える”「“「“依然”として、【「““黒”「“と”【「““白”【「““得”「“と”【「““失”【「““生”「“と”【「““死”「“【「““終わり**”「“なき”「““綱引き”「“あの”【「““合一”「“【「““体悟”(たいご)「“と”「“この”【「““二元”「“【「““現実”「“は”「“あたかも”【「““二「“つ”「“「““調和”「“「“えぬ”「““世界”
    如何(いか)にして、「“‘対立’「“と”「“‘変動’「“に”「“満ち「“た”「“‘世界’「“の”「“「“あの”【「““合一”「“【「““真相”「“を”「“生きる「“こと”「“「“できる”「“”」? 「“あの【「““魂”「“【「““嵐”「“の”「“【「““如々(にょにょ)「“として「““動かざる”「“たらしめる”【「““神聖「“なる”「““支点”】は、「“一体「“何処(いずこ)「“「“ある”「“のか”」?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【平衡】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第十章:【破暁】(はぎょう)の神祇(しんぎ)の「“暮色の鳶尾”(トワイライト・アイリス)」

    【平衡】の智慧が、私を「“”」の【中心】たらしめた。私は「“もはや”」、【二元】「“”」「“世界”」に【“引き裂か”】れない。私は「“一種”」の【“深「“き”「““静寂”」】を手に入れた。私の【内なる世界】は、「“一つ”」の【“完璧”「“な”「““時計””】のように、静止し、調和している。

    しかし、【「“‘一度「“‘も”「“‘揺れ”「“‘動かぬ”「“‘時計”】は、「“また”」、【“新”「“たな”「““時間”】を「“告げる”」ことも「“でき”」ない。この【“完璧”「“なる”「““静寂”」】の中では、私は【“未来”】の【“足音”】を「“聴く”」ことが「“でき”」ない。
    “一切”(すべて)】が【“平衡「“に”「““帰「“した”「““後”」、「“あの”【「““旧**”「“き”「““常識「“を”「““打破”】「“し”【「““全く”「““新”「“しい”「““可能性”】を「“もたらす”」【“神聖”「“なる”「““火花”】は、【「““何処(いずこ)「“より”【「““立ち「““昇る”」】「“のか”」?“霊感”】(インスピレーション)「“とは”【「““激烈”「“なる”「““思考”「“【「““産物”「“な”「“のか”」?「“それとも”「“我ら”が【「““全く”「““未知”」「“【「““場所”」「“から「“来る”「“のか”」?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【破暁】(はぎょう)の殿堂の門を叩く‘謎’であった。


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  • 第十一章:【蝶夢】(ちょうむ)の神祇(しんぎ)の「“水鏡(みずかがみ)の森”」

    「“【破暁】(はぎょう)の低語(ささやく)が、私に【「““内””「“なる”“宇宙”】の【「““浩瀚””】(こうかん)さを「“垣間見(かいまみ)「“せた”」。 「“あの【「““静寂”「“から”「“来た【「““直覚”「“は”「“私”が「“この”【「““大地”「“「“踏みしめる”「““感覚”「“より”「“「“なお【「““真実”「“で”「“ある「“かの”「“よう「“感じ「“られた”」。
    「“これ”が、私を【「““根源”
    「“的”な【「““迷惘”】(めいもう)に「“陥らせた”」。私が「“ずっと”「“信頼「“してきた”【「““感覚”「“【「““信頼「“できぬ”「“もの”「“「“なり”「“始めた「“のだ”」。
    我らが「“感知”する【「“
    ‘この”「““世界”「“と”「“我ら”が【「“‘夢”「““境”「“で”「““体験”「“する”【「“‘あの「““世界”「“と”「“一体”「“どちら”が【「“‘真実’「“な”「“のか”」?我らは【「““夢”「“「““見て”「““いる”「““人”「“「“のか”」?「“それとも「“我ら「“自身”「“【「““より「““高次”「“の”「““存在”「“「“よって”【「““夢見「““られたる”「““夢”「“「“のか”」?
    これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【「“蝶夢(ちょうむ)の殿堂の門を叩く‘謎’であった。”

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  • 第十二章:出離(シュツリ)の神祇(しんぎ)の「最後(さいご)の一葉(ひとは)」

    「【蝶夢】(ちょうむ)の智慧(ちえ)は、私(わたし)に、『問(と)い続(つづ)ける』こと、を、止(や)めさせた。
    私(わたし)は、もはや、こ、の『世界』を、『理解(りかい)しよう』と、試(こころ)みず、
    代(か)わりに、こ、の『世界』に、『成(な)る』こと、を、選(えら)んだ。
    私(わたし)は、『一切』(いっさい)を、体験(たいけん)し、『一切』(いっさい)を、受(う)け入(い)れた。
    私(わたし)の、『行囊』(こうのう)は、既(すで)に、満(み)ち。
    私(わたし)の、『旅路』(たびじ)は、既(すで)に、尽(つ)きた。
    私(わたし)は、思(おも)った、私(わたし)には、もはや、『困惑』(こんわく)など、無(な)い、と。

    然(しか)し、私(わたし)が、こ、の『終点』(しゅうてん)の、上(うえ)に、立(た)ち、
    こ、の『一年(いちねん)の、全(すべ)て』の『璀璨』(さんらん)を、振(ふ)り返(かえ)った、時、
    そ、の『最後(さいご)の執着(しゅうちゃく)』が、生(しょう)じた。
    私(わたし)は、名残惜(なごりお)しかった。
    我(われ)ら、が、『斯(か)くも豊穣(ほうじょう)なる』『旅路』(たびじ)を、経験(けいけん)した、後(のち)、
    如何(いか)にして、『優雅(ゆうが)』に『手放(てばな)す』こと、が、できよう?
    そ、の、『曲(きょく)終(お)わり人(ひと)散(さん)じる』時(とき)に、我(われ)らに、『喪失(そうしつ)』を、感(かん)じさせず、
    『円満』(えんまん)を、感(かん)じさせる『終極(しゅうきょく)の智慧』(ちえ)とは、
    一体(いったい)、何(なん)だ?
    これ、が、私(わたし)が、此(こ)の、旅(たび)で、【出離】(しゅつり)の殿堂(でんどう)を、叩(たた)き、問(と)う、為(ため)の『謎』(なぞ)で、ある。」