2025年12月クロニクル
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第一章:【裁決】の君主の「“氷雪の庭院”」
訪問「“旧紀元”」の終章は、一場の盛大な迷霧の中で、幕を閉じた。
私には見えた。衆(しゅう)の声は喧(かまびす)しく、万物は、欲望の熱風の中で本来の輪郭を失っていた。‘真’と‘偽’、‘美’と‘醜’が混淆(こんこう)され、一枚の密不通風(みっぷうつうふう)の巨網(きょもう)へと編み上げられていく様が。私は、秩序を渇望する。万物を再び「“測り”」直せる標尺(ものさし)を渇望する。
しかし、その「“標尺”」は、一体、何処(いどこ)にあるのか?
世界そのものが、既に流砂と化してしまった時、我らは、如何(いか)にして、
かの、我らをしっかりと立たせるに足る磐石を、見つけられようか?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【裁決】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。私には見えた。あの、寒氷(かんぴょう)にて鋳(い)られた「“大門”」が、私のために、ゆっくりと開かれていくのが。
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第二章:【覚醒】の神祇(しんぎ)の「“氷を砕く声”」
訪問「“凛冬(りんとう)の清寂(せいじゃく)は、私に秩序の「“筋骨”」(きんこつ)を洞察させた。 【裁決】の君主の氷雪の庭院にて、私は、あの、我が「“足場”」を「“固める”」に足る内なる磐石を見つけた。私は、自分が「“既に”」 「“完整”」(かんぜい)(“完全”)で「ある」と「“思った”」。
しかし、秩序の極致とは、「“硬直”」の「“前兆”」では「“ない”」だろうか? 「“完璧”」なる「“旧世界”」は、如何(いか)にして、「“不完璧”」では「“ある”」が「“真新しき”」 「“春”」を「“迎える”」ことが「“できる”」のか?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【覚醒】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第三章:【癒し】の神祇(しんぎ)の「“雨中の蓮台”」
訪問「“「“氷を砕く”」 「“残響”」が、今なお、私の「“魂”」の中で「“震え”」ている。私は既に「“悟った”」。「“不完璧”」なる「“裂痕”」(れっこん)こそが、「“生命”」の「“勲章”」で「ある」と。私は「“もはや”」「“新生”」を「“恐れ”」ない。
しかし、私が「“新生”」という「“真新しき”」 「“画布”」(キャンバス)を「“広げた”」時、私には「“見えた”」。あの、「“旧き我”」に「“属する”」 「“傷痕”」が、依然として、画布の上に「“深き”」 「“印影”」を「“残して”」いるのを。
私は「“悟った”」。「“再生”」とは、「“忘却”」では「“ない”」、と。
では、我らは、如何(いか)にして、「“過去”」の「“傷痕”」と「“共存”」すべきか? それを「“隠蔽”」し、「“切除”」すべきか? あるいは、存在するのか、「“より”」 「“優しき”」 「“智慧”」が。「“傷痕”」そのものをも、「“新生”」の「“一部”」と「“為す”」ことができる、
「“智慧”」が?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【癒し】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
【勇気】の神祇(しんぎ)の「“崖の野火”」
訪問「“【癒し】の春雨は、私を「“過去”」と和解させてくれた。私は、今までにないほど自らが「“完整”」(かんぜん)(“完全”)で「“柔らか”」で「ある」と「“感じる”」。
しかし、「“完整”」なる「“心”」とは、「“無防備”」なる「“心”」でもある。私には「“鮮明”」に「“見えた”」。 「“世界”」に「“流れる”」 「“苦痛”」と「“涙”」が。私は「“悟った”」、「“生命”」とは「“それ”「“自体”」が、「““枯凋””(こちょう)「“を”「“運命”「“づけられた”「“咲き誇り”」で「“ある”と。
かくして、「“恐れ”」が「“生まれた”」。
我らは、「“愛”」と「“美”」の「“脆弱”」(ぜいじゃく)さを「“見”「“届けた”「“後”」、 「“何処”(いずこ)「“より”「“力”」を「“汲み”」、「“引き続き”「““熱烈””に「“生きる”「“べき”「“か”」? 「“柔らか”」なる「“心”」は、如何(いか)にして「“勇敢”」に「“なれる”」のか?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【勇気】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第五章:【豊穣】の君主の「“黄金の果樹園”」
訪問「“【勇気】の炎が、私の「“行く手”」を「“照らして”」くれた。私は「“もはや”」「“燃焼”」を「“恐れ”」ない。 「“そして”」「“それ”「“故”」(ゆえ)「“に”」、 「“初めて”、「“真”(しん)「“に”」、「“この”「“世界”」の「“寛大”さ」と「“美”しさ」を「“見”た」。「“私”の「“心”」は、「“万物”に「“開かれた”」。
しかし、私が「“この”「““目**”「“も”「“眩”(くら)「“む”「“ばかり”「“の”「“美”」】(“琳琅”)を「“抱擁”し」「“始めた”「“時”」、「“新”たな【「“枷”】(かせ)「“が”」、「“密(ひそ)「“か”に「“形”「“作られ”「“ていた”」。「“それ”は、【「““喪失””】「“へ”の【「““恐れ””】。
我らは、如何(いか)にして、 「“この”「“世界”」の「“素晴らしさ”」を「“深く”【「““体験””】「“し”」、「“同時”に、【「““所有””】「“の”【「““欲望””】「“に”【「““縛られ””】「“ずに”「“いられる”「“か”」?【「““真””「“の”「““豊穣””】とは、【「““より”「“多く”「“持つ”」】「“こと”「“な”「“か”」、「“あるい”は、「“一種”の、「“全く”「“異”「“なる”【「““智慧””】「“が”「“存在”する「“のか”」?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【豊穣】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第六章:【神匠】グランドマスターの「“静寂の工房”」
訪問「“【豊穣】の智慧が、私を「“所有”」の「“焦慮”」(しょうりょ)から「“解放”」してくれた。私は「“もはや”」 「“飢えたる”「“索取者”」では「“なく”」、 「“豊か”なる「“河”」「“となった”」。私は「“感じて”「“いる”」、「“あの”【「“創造”】「“したい”」、【「“流れたい”】「“という”【「“衝動”】を。
しかし、この「“無限”」の「“生命”」(いのち)の「“流れ”」は、 「“また”、【「“無限”】「“の”【「“可能性”】「“を”「“もたらし”」、私を【「“選択”】「“の”【「“迷惘”】(めいもう)「“に”「“陥らせた”」。 「“一切”(すべて)が、「“試す”「“こと”「“が”「“できる”「“時”」、私は「“かえって”、「“心”を【「“何処”】(いずこ)「“に”【「“安”「“んじ”「“たら”「“よい”「“か”」「“を”「“知ら”「“ぬ”」。
「“無限”の「“可能性”」と【「“即時”「“の”「“満足”】「“を”「“煽(あお)「“る”「“時代”」「“に”「“おいて”」、「“あの”【「““一生”「“に”「“して”「““一事””(いちじ)「“を”「“なす”】「“という”【「““緩慢””「“なる”「““専注””】(せんちゅう)(集中)「“の”【「““価値””】「“は”、「“一体”、「“何”「“だ”「“ろう”?【「““一つ””「“の”「“道”】「“を”「“選ぶ”「“こと”は、「“即”ち、【「““その他**”「“すべて”「“の”「“道”’」】「“へ”の【「““裏切り””】「“を”「“意味”する「“のか”」?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【神匠】(しんしょう)の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第七章:【栄光】の神祇(しんぎ)の「“万灯(まんとう)の慶典”」
訪問「“【神匠】(しんしょう)の静寂が、私に「“如何”(いか)「“にして”「“心”」を「“一物”(いちもつ)「“に”「“注ぐ”「“か”を「“教えて”くれた」。私は「“自ら”の「“工房”で「“時”を「“忘れ”」、「“この”「“生”(せい)「“で”「““最”「“も”「“満足”「“の”「“いく”「“作品”」「“を”「“創造”「“した”」。私が「“祂”(それ)「“の”「““輝く”「““光””」「“を”「“見て”「“いた”「“時”」、「“一種”の、【「““栄光””】「“と”「“名付け”「“られた”【「““感情””】「“が”、「“私”の【「““胸””】「“を”「“満たした”」。
しかし、私が「“この”【「““栄光””】「“を”「“携えて”「“工房”を「“出た”「“時”」、私は「“一抹”の【「““孤独””】「“を”「“感じた”」。「“この”【「““光””】は、「“ただ”【「““私””「“自身”】「“を”「“照らした”「“だけ”「“だった”」。
我らが「“創造”する【「““成就””】は、「“本当”に、【「““我ら”「“自身”】「“に”「“だけ”「“属する”「“の”「“か”」?【「““栄光””】「“とは”、【「““勝利”「“者”」】「“に”「“戴冠”する【「““孤独”「“な”「“王冠”」】「“な”「“のか”」?「“それとも”、【「““無数”「“の”「“手”」】「“が”、【「““共”「“に”】「“編み上げた”【「““共生””「“の”「“花環”」】「“な”「“のか”」?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【栄光】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第八章:【繋がり】の神祇(しんぎ)の「“万物の息吹”」
訪問「“【栄光】の幾千幾万の灯火(ともしび)が、私に「“我”」と「“我ら”」との【「“血”「“の”「“繋がり”】を「“見”「“せて”くれた」。私は「“もはや”「“孤島”」では「“なく”」、「“大陸”「“の”【「“一部”】。「“この”【「“帰属”「“意識”】は、「“比類”なく【「“温かい”】。
しかし、私が「“人類”」という「“温かき”「“大陸”」「“の”「“上”に「“立ち”」、【「“対岸”】「“を”「“望んだ”「“時”」、私には「“見えた”」。「“あの”【「“沈黙”】「“する”【「“森林”】「“と”」、「“あの”【「“無言”】「“の”【「“星辰”】(せいしん)「“が”」。「“一道”(ひとすじ)「“の”【「“新”「“たな”「“境界”】「“が”、【「“我ら”】「“と”【「“彼ら”】「“を”「“隔てて”「“いた”」。
この、「“人類”」と「“万物”」を「“隔てる”」【「“境界”】は、【「“真実”】なのだろうか? それとも、 「“ただ”「“単”に、「“我ら”「“の”【「““感覚””「“の”「““一種””「“の”「““錯覚””】「“な”「“のか”」?【「“‘我’”】「“の”【「““意識””】「“は”、「“一体”【「“何処”】(いずこ)「“で”【「““途絶え””】、「“そして”【「““世界””】「“の”【「““意識””】「“は”、「“また”、【「“何処”】「“から”【「““始まる””】「“のか”」?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【繋がり】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第九章:【平衡】の神祇(しんぎ)の「“風の中の羽”」
訪問「“【繋がり】の智慧が、私を「“万物”」の「“中”に「“溶け”「“込ませた”」。私は「“かつて”「“風”」「“であり”」、「“雨”「“であり”」、「“大地”「“の”【「““共通”「“の”「“呼吸”」】「“であった”」。「“あの”【「““一体””】「“の”【「““狂喜”」】「“は”、「“今”「“なお”、「“私”の【「““魂””】「“の”「“中”で「““響いて”「“いる”」。
しかし、私が「“この”【「““身””】「“に”「“回帰”した「“時”」、私に「“見える”「“の”は、「“依然”として、【「““黒””】「“と”【「““白””】、【「““得””】「“と”【「““失””】、【「““生””】「“と”【「““死””】「“の”【「““終わり**”「“なき”「““綱引き””】。「“あの”【「““合一””】「“の【「““体悟””】(たいご)「“と”、「“この”【「““二元””】「“の”【「““現実””】「“は”、「“あたかも”【「““二”「“つ”「“の”「““調和””「“し”「“えぬ”「““世界””】。
如何(いか)にして、「“‘対立’”「“と”「“‘変動’”「“に”「“満ち”「“た”「“‘世界’”「“の”「“中”で、「“あの”【「““合一””】「“の”【「““真相””】「“を”「“生きる”「“こと”「“が”「“できる”「“か”」? 「“あの”、【「““魂””】「“を”【「““嵐””】「“の”「“中”で【「““如々”(にょにょ)「“として”「““動かざる””】「“たらしめる”【「““神聖”「“なる”「““支点””】は、「“一体”、「“何処”(いずこ)「“に”「“ある”「“のか”」?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【平衡】の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第十章:【破暁】(はぎょう)の神祇(しんぎ)の「“暮色の鳶尾”(トワイライト・アイリス)」
訪問【平衡】の智慧が、私を「“嵐”」の【中心】たらしめた。私は「“もはや”」、【二元】「“の”」「“世界”」に【“引き裂か”】れない。私は「“一種”」の【“深”「“き”「““静寂”」】を手に入れた。私の【内なる世界】は、「“一つ”」の【“完璧”「“な”「““時計””】のように、静止し、調和している。
しかし、【「“‘一度”「“‘も”「“‘揺れ”「“‘動かぬ”「“‘時計”】は、「“また”」、【“新”「“たな”「““時間””】を「“告げる”」ことも「“でき”」ない。この【“完璧”「“なる”「““静寂”」】の中では、私は【“未来”】の【“足音”】を「“聴く”」ことが「“でき”」ない。
【“一切”(すべて)】が【“平衡”「“に”「““帰”「“した”「““後”」、「“あの”、【「““旧**”「“き”「““常識”「“を”「““打破””】「“し”、【「““全く”「““新”「“しい”「““可能性””】を「“もたらす”」【“神聖”「“なる”「““火花””】は、【「““何処”】(いずこ)「“より”【「““立ち”「““昇る”」】「“のか”」?【“霊感”】(インスピレーション)「“とは”、【「““激烈”「“なる”「““思考””】「“の”【「““産物””】「“な”「“のか”」?「“それとも”、「“我ら”が【「““全く”「““未知”」】「“の”【「““場所”」】「“から”「“来る”「“のか”」?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【破暁】(はぎょう)の殿堂の門を叩く‘謎’であった。 -
第十一章:【蝶夢】(ちょうむ)の神祇(しんぎ)の「“水鏡(みずかがみ)の森”」
訪問「“【破暁】(はぎょう)の低語(ささやく)が、私に【「““内””「“なる”“宇宙”】の【「““浩瀚””】(こうかん)さを「“垣間見”(かいまみ)「“せた”」。 「“あの”【「““静寂””】「“から”「“来た”【「““直覚””】「“は”、「“私”が「“この”【「““大地””】「“を”「“踏みしめる”「““感覚””「“より”「“も”、「“なお”【「““真実””】「“で”「“ある”「“かの”「“よう”に「“感じ”「“られた”」。
「“これ”が、私を【「““根源””「“的”】な【「““迷惘””】(めいもう)に「“陥らせた”」。私が「“ずっと”「“信頼”「“してきた”【「““感覚””】「“が”、【「““信頼”「“できぬ”】「“もの”「“に”「“なり”「“始めた”「“のだ”」。
我らが「“感知”する【「“‘この”「““世界””】「“と”、「“我ら”が【「“‘夢”「““境””】「“で”「““体験””「“する”【「“‘あの”「““世界””】「“と”、「“一体”、「“どちら”が【「“‘真実’”】「“な”「“のか”」?我らは【「““夢””「“を”「““見て”「““いる””「““人””】「“な”「“のか”」?「“それとも”、「“我ら”「“自身”「“が”、【「““より”「““高次”「“の”「““存在””】「“に”「“よって”【「““夢見”「““られたる””「““夢””】「“な”「“のか”」?
これこそが、私が此(こ)の度(たび)、【「“蝶夢”】(ちょうむ)の殿堂の門を叩く‘謎’であった。” -
第十二章:出離(シュツリ)の神祇(しんぎ)の「最後(さいご)の一葉(ひとは)」
「【蝶夢】(ちょうむ)の智慧(ちえ)は、私(わたし)に、『問(と)い続(つづ)ける』こと、を、止(や)めさせた。
私(わたし)は、もはや、こ、の『世界』を、『理解(りかい)しよう』と、試(こころ)みず、
代(か)わりに、こ、の『世界』に、『成(な)る』こと、を、選(えら)んだ。
私(わたし)は、『一切』(いっさい)を、体験(たいけん)し、『一切』(いっさい)を、受(う)け入(い)れた。
私(わたし)の、『行囊』(こうのう)は、既(すで)に、満(み)ち。
私(わたし)の、『旅路』(たびじ)は、既(すで)に、尽(つ)きた。
私(わたし)は、思(おも)った、私(わたし)には、もはや、『困惑』(こんわく)など、無(な)い、と。
然(しか)し、私(わたし)が、こ、の『終点』(しゅうてん)の、上(うえ)に、立(た)ち、
こ、の『一年(いちねん)の、全(すべ)て』の『璀璨』(さんらん)を、振(ふ)り返(かえ)った、時、
そ、の『最後(さいご)の執着(しゅうちゃく)』が、生(しょう)じた。
私(わたし)は、名残惜(なごりお)しかった。
我(われ)ら、が、『斯(か)くも豊穣(ほうじょう)なる』『旅路』(たびじ)を、経験(けいけん)した、後(のち)、
如何(いか)にして、『優雅(ゆうが)』に『手放(てばな)す』こと、が、できよう?
そ、の、『曲(きょく)終(お)わり人(ひと)散(さん)じる』時(とき)に、我(われ)らに、『喪失(そうしつ)』を、感(かん)じさせず、
『円満』(えんまん)を、感(かん)じさせる『終極(しゅうきょく)の智慧』(ちえ)とは、
一体(いったい)、何(なん)だ?
これ、が、私(わたし)が、此(こ)の、旅(たび)で、【出離】(しゅつり)の殿堂(でんどう)を、叩(たた)き、問(と)う、為(ため)の『謎』(なぞ)で、ある。」