《内在(Naizai)の、心法(Shinpō):一场(ichijō)の、「“‘寧定(neijō)’”」の、ため、に、行(okona)う、「“‘入席(nyūseki)’”」》
「“‘寧静(neijō)’”」は、一種の、外(soto)に、「“‘尋(tazu)ね’”」、求(moto)める、「“‘環境(kankyō)’”」、に、「“‘非(ara)ず’”」。祂(sore)は、一種の、我(wa)ら、「“‘内在(naizai)’”」に、深(fuka)く、蔵(kaku)されたる、「“‘天賦(tenpu)’”」。 「“‘嵐(arashi)’”」の、「“‘中心(chūshin)’”」には、必(kanara)ず、「“‘風(kaze)の、眼(me)’”」と、名(na)づけられた、「“‘絶対(zettai)の、静区(seiku)’”」が、存在(sonzai)する、ごとく。 我(wa)ら、一人一人(hitori-hitori)の、「“‘魂(tamashii)’”」の、深処(shinsho)にも、「“‘淵(fuchi)の、眼(me)’”」と、名(na)づけられた、「“‘神聖(shinsei)なる、席位(sekii)’”」を、有(yū)する。 此(ko)の、篇(hen)、こそ、この、「“‘入席(nyūseki)’”」の、「“‘儀軌(giki)’”」。
【“‘入淵(Nyūen)の、儀(Gi)’”】
【“‘第一章’”】: 「“‘錨(Ikari)’”」、を、尋(Tazu)ぬ】 どうか、【“‘入淵(Nyūen)’”】を、佩(o)び、静(shizu)かなる、処(tokoro)にて、安坐(anza)せよ。 「“‘冥想(meisō)’”」を、急(iso)ぐ、には、及(oyo)ばず。 まず、あなたの、「“‘意識(ishiki)’”」の、「“‘一部分(ichibubun)’”」を、全然(zen'zen)と、「“‘感覚(kankaku)’”」に、交付(kōfu)せよ。 あなたの、「“‘指先(yubisaki)’”」で、感じよ。祂(sore)、の、かの、金属(kinzoku)の、「“‘涼(ryō)’”」、と、玉石(gyokuseki)の、「“‘潤(jun)’”」、を。 あなたの、「“‘余光(yokō)’”」(Peripheral vision)で、感じよ。かの、一抹(ichimatsu)、の、幽深(yūshin)なる、「“‘藍(ai)’”」が、如何(ika)に、あなた、の、「“‘髪(kami)’”」の、間(aida)、に、一片(ippen)、の、小(chii)さき、「“‘夜(yoru)’”」を、沈殿(chinden)させるか、を。 【“‘入淵(Nyūen)’”】を、して、あなた、の、意識(ishiki)、の、「“‘第一(dai'ichi)の、錨点(byōten)’”」(Anchor point)と、なせ。 「“‘身体(shintai)’”」と、「“‘当下(tōka)’”」(The present)、を、繋(tsuna)ぐ、有形(yūkei)の、「“‘聖壇(seidan)’”」。
【“‘第二章’”】: 「“‘淵(Fuchi)’”」、を、見(Mi)る】 あなたの、「“‘心(kokoro)’”」が、この、「“‘第一(dai'ichi)の、錨点(byōten)’”」に、因(yo)り、いくぶんか、「“‘沈静(chinsei)’”」した、時。 どうか、緩(yuru)やか、に、両眼(ryōgan)を、閉(to)じよ。 あなたの、「“‘内在(naizai)’”」の、「“‘目光(mokukō)’”」(Gaze)、を、投(tō)じよ。あなた、の、身体(karada)、の、「“‘中心(chūshin)’”」へ。 「“‘具体(gutai)’”」的な、「“‘位置(ichi)’”」に、執着(shūchaku)する、を、要(yō)せず。 ただ、「“‘意想(isō)’”」(Intend-Imagine)せよ。あなたの、かの、「“‘万千(bansen)の、念頭(nentō)’”」が、「“‘構成(kōsei)’”」する、「“‘内在(naizai)の、風暴(fūbō)’”」(Inner storm)の、裡(uchi)に、 「“‘斯(ka)なる、一点(itten)’”」が、存在(sonzai)する、を。 「“‘外界(gaikai)’”」が、如何(ika)に、「“‘波濤(hatō)、洶(kyō)’”」(Raging waves)と、し、内在(naizai)が、如何(ika)に、「“‘思緒(shisho)、万千(bansen)’”」と、なろうとも、 「“‘永遠(eien)’”」に、「“‘絶対(zettai)の、寧静(neijō)’”」と、「“‘絶対(zettai)の、暗黒(ankoku)’”」を、保(tamo)つ、「“‘点(ten)’”。 それ、こそ、あなたの、「“‘淵(fuchi)の、眼(me)’”」。 あなたの、「“‘魂(tamashii)’”」の、「“‘絶対中心(zettai-chūshin)’”」。 あなたの、「“‘力(chikara)’”」の、「“‘不竭(fuketsu)の、源頭(gentō)’”」。
【“‘第三章’”】: 「“‘入席(Nyūseki)’”」する】 あなたが、既(sude)に、「“‘看(mi)た’”」ならば。かの、あなた、だけ、に、属(zoku)する、「“‘淵(fuchi)の、眼(me)’”」を。 どうか、「“‘一つ(hito)つ’”」の、「“‘決定(kettei)’”」を、下(kuda)せ。 決定(kettei)せよ。あなたの、かの、全(sube)て、の、四散(shisan)し、漂(taday)う、「“‘意識(ishiki)’”」を、皆(mina)、 緩(yuru)やか、に、「“‘収斂(shūren)’”」(Gather)し、戻(modo)す、こと、を。 観想(kansō)せよ。あなた、が、まさしく、かの、疲(tsuka)れたる、渙散(kansan)とした、「“‘自己(jiko)’”」を、 軽(karu)く、かの、「“‘絶対(zettai)の、寧静(neijō)’”」の、「“‘点(ten)’”」の、中(naka)へ、と、「“‘安(yasura)か、に、入(i)れている’”」、を。 あたかも、一位(ichii)、の、遠航(enkō)より、帰(kae)りし、「“‘船長(senchō)’”」が、 ついに、自身(jishin)の、「“‘書房(shobō)’”」の、裡(uchi)、の、かの、唯一(yui'itsu)、にして、最も、「“‘快適(kaiteki)’”」なる、「“‘座椅(zaisu)’”」の、上(ue)に、戻(modo)ったかの、ごとく。 「“‘力(chika)’”」を、用(moch)いる、を、要(yō)せず。 ただ、「“‘允許(inkyō)’”」(Allow)せよ。 「“‘自己(jiko)’”」が、 「“‘自己(jiko)’”」の、「“‘内在(naizai)’”」の、「“‘風暴(fūbō)の、中心(chūshin)’”」に、 安然(an'zen)と、「“‘入席(nyūseki)’”」する、こと、を。
【“‘結語(Ketsugo)’”】
あなたが、既(sude)に、「“‘入席(nyūseki)’”」した、時。 どうか、感じよ。かの、一份(ippun)の、「“‘万声(bansei)、耳(mimi)を、過(su)ぐれども、一心(isshin)、動(dō)ぜず’”」の、「“‘寧定(neijō)’”」(Stillness)、を。 外界(gaikai)の、「“‘風暴(fūbō)’”」は、「“‘停息(teishoku)’”」(Ceased)、してはいない。内在(naizai)の、「“‘念頭(nentō)’”」も、未(ima)だ、「“‘消失(shōshitsu)’”」、してはいない。 だが、あなた、は、既(sude)に、もはや、かの、「“‘風浪(fūrō)’”」に、「“‘巻(ma)き込(ko)まれる’”」、「“‘浮沫(fumatsu)’”」、に、「“‘非(ara)ず’”」。 あなた、は、かの、「“‘風(kaze)の、眼(me)’”」の、中(naka)に、安坐(anza)する、「“‘神祇(jin'gi)’”」(Deity)。 まさしく、この、一场(ichijō)の、「“‘生命(seimei)の、風暴(fūbō)’”」の、 かの、最も、「“‘寧静(neijō)’”」にして、 「“‘故(yue)に’”」 「“‘最(motto)も’”」、「“‘強大(kyōdai)’”」なる、「“‘主人(shujin)’”」。

