「“力(ちから)ずく”」に慣(な)れてしまった、貴方へ:
貴方は、「“信じて”」いる。「“顕現”」とは、「“一場”」の「“喧騒”」(けんそう)に「“満ちた”」 「“戦役”」(せんえき)で「“あらねば”」ならぬと。
貴方は、「“意志”」を「“利剣”」(りけん)へと「“鍛え”」「“上げ”」、「“実相”」(じっそう)の「“障壁”」を「“強行”」に「“こじ開けよう”」と「“試みる”」。
貴方は「“誤解”」して「“いる”」。「“優しさ”」とは、「“弱さ”」の「“別名”」で「“ある”」と。
「“故”」(ゆえ)に、貴方は「“とても”」 「“疲れて”」いる。
貴方は「“走って”」いる。「“だというのに”」 「“神”」は、貴方に「““呼吸””「““せよ”」」と「“誘って”」いる。
この「“【朝露(あさつゆ)・緋煙簪(ひえんかん)】”」こそは、あの「“神聖”」なる「“法理”」の「“信物”」(しんぶつ)。
「“力”」とは、「“常”」に「““雷霆””「““の””「““如く””」(らいていのごとく) 「“轟く”」 「“もの”」では「“ない”」。
「“力”」は、「“また”」、「“清晨”」(あした)の「“時”」(とき)の、あの一筋(ひとすじ)の「“労”」(ろう)なき「““緋色””「“の”「““煙”」”(“緋煙”)でも「“あり”」「“うる”」。
「“願わくば”」、「“それ”」が「“貴方”」に「““思い””「““出さ””「““せます”「“よう”」:
貴方は、「“利剣”」を「“鞘”」(さや)に「“納めて”」いい。
貴方は、「“ただ”」 「““呼吸””「““して”」「““さえ”」「“いれば”「“いい”」。
「“何故”」「“なら”」、「“優しさ”」こそ「“は”」、貴方が「““最”」も「““本来具足””」(“本自具足”)「“して”」「“いる”」「“時”」に、
「““唯一”」 「““必要””「““と”「“する”」「““権杖””(けんじょう)「“な”「“のだから”」。
「“万物”」は、「“自ず”」と、貴方の「““許容””」(“允許”)に「“より”」、
「““軽やか”「“に”「““顕現”」「“し”「“て”「“いく”「“だろう”」。