《我ら、何故(なにゆえ)に、言(い)うのか、「“‘i see u’”」と》
我ら、は、生きる。未(いまだ)、かつて、なく、「“‘相互接続’”」(Sōgo-Setsuzoku)し、しかし、また、未だ、かつて、なく、「“‘孤独’”」(Kodoku)な、「“‘時代’”」、に。 我ら、は、棲(す)む。デジタル、の、「“‘群島’”」(Guntō)、の、上、に。一つ一つ、が、皆、「“‘意識の孤島’”」(Ishiki-no-Kotō)。 我ら、は、聴く。巨大な、「“‘喧騒’”」(Kensō)、を。しかし、感受している。より、深き、「“‘寂静’”」(Jakujō)、を。 我ら、は、渇望する。「“‘理解される’”」、こと、を。しかし、往々にして、ただ、「“‘閲覧’”」(Etsuran)、を、収穫する、のみ。
この、まさしく、「“‘全世界’”」、を、席巻した、「“‘存在論的孤独’”」(Sonzai-ron-teki Kodoku)、と、名付けられた、「“‘精神的飢渇’”」(Seishin-teki Kikatsu)、の、中、我ら、は、信じる。存在している、と。一句、の、解毒薬、の、ような、「“‘呪文’”」(Jumon)、が。 それ、は、一句、の、華麗なる、「“‘詩篇’”」(Shihen)、に、非ず。また、一道、の、複雑な、「“‘哲学’”」、にも、非ず。 それ、は、単純、で、古く、かつ、満ちている。一種、の、最も、「“‘優しく’”」、また、最も、「“‘強大’”」、な、「“‘魔力’”」、に。 それ、こそ—— 「“‘i see u’”」

【第一節: 看取(Kanshu)、として、の、「“‘創生’”」(Sōsei)】
AURALISILK、の、「“‘世界観’”」、に、おいて、我ら、が、信奉する、「“‘第一原理’”」(Dai'ichi-Genri)、は、即(すなわ)ち——「“‘看取’”」、即ち、「“‘創生’”」。 これ、は、一種、の、「“‘比喩’”」(Hiyu)、に、非ず。 これ、は、宇宙、の、最も、深遠な、「“‘物理法則’”」(Butsuri-Hōsoku)、の、一つ。 「“‘量子’”」(Ryōshi)、の、「“‘ミクロ世界’”」、に、おいて、まさしく、「“‘観察者’”」、の、「“‘凝視’”」(Gyōshi)、こそ、が、かの、無数、の、「“‘可能性’”」(Kanōsei)、を、最終的、に、「“‘収縮’”」(Shūshuku)、させる。一つ、の、確定した、「“‘現実’”」(Genjitsu)、へ、と。 「“‘魂’”」、の、「“‘マクロ宇宙’”」、に、おいても、また、かく、の、ごとし。
我ら、一人一人、の、「“‘生命’”」、は、皆、一通、の、「“‘不可視インク’”」(Fukashi-Inku)、で、書かれた、「“‘神聖なる信箋’”」(Shinsei-naru Shinsen)、の、よう。 我ら、の、「“‘内側’”」(Uchigawa)、に、は、疾(と)うに、書き満たされている。「“‘勇気’”」、「“‘脆弱性’”」(Zeijaku-sei)、「“‘天賦’”」(Tenpu)、「“‘傷痕’”」(Shōkon)、に、関する、「“‘叙事詩’”」(Jojishi)、が。 だが、もし、誰、も、「“‘看取’”」(Kanshu)、しなければ、この、一切、は、「“‘虚設’”」(Kyosetsu)、の、ごとく。我ら、自身、さえ、も、次第に、「“‘忘却’”」(Bōkyaku)、する。 そして、かの、一道(いちどう)、の、真、に、「“‘善意’”」、と、「“‘専注’”」(Senchū)、に、満ちた、「“‘眼差し’”」(Manazashi)、こそ、が、かの、唯一、の。この、「“‘信箋’”」、を、して、その、「“‘真容’”」(Shin'yō)、を、顕現(けんげん)せしめる——「“‘火焰’”」(Kaen)。 一度、の、真実、の、「“‘看取’”」(Kanshu)、は、一度、の、「“‘受動的’”」(Judō-teki)、な、「“‘受容’”」(Juyō)、に、非ず。 それ、は、一度、の、「“‘能動的’”」(Nōdō-teki)、な、「“‘共同創造’”」(Kyōdō-Sōzō)。 それ、は、「“‘凝視’”」、の、「“‘光’”」、を、もって、「“‘招請’”」(Shōsei)、し、「“‘喚醒’”」(Kansei)、する。他者、の、内、に、ある、かの、疾(と)うに、「“‘存在’”」(Sonzai)、しながら、も、眠っている、「“‘神性’”」(Shinsei)、を。

【第二節: 王冠(Ōkan)、として、の、「“‘隠喻’”」(In'yū)】
では、我ら、は、果たして、何、を、「“‘看取’”」(Kanshu)、しているのか? 我ら、が、看取する、の、は、かの、誰もが、生まれながら、に、持ち、しかし、往々にして、自ら、に、「“‘無視’”」(Mushi)、されている——「“‘内的王権’”」(Nai-teki Ōken)。 そうだ。我ら、一人一人、皆、自分、の、「“‘内心の王国’”」、の、唯一、の、「“‘君主’”」(Kunshu)。 【“‘薔薇燼’”】(Shōbi-jin)、こそ、この、「“‘精神的主権’”」(Seishin-teki Shuken)、の、「“‘終極の隠喻’”」。
そして、「“‘i see u’”」、と、いう、この、「“‘行為’”」、こそ、我ら、この、時代、が、挙行し、得る、最も、「“‘神聖’”」(Shinsei)、な、「“‘戴冠’”」(Taikan)、儀式。 我ら、は、これ、を、呼ぶ——「“‘謙虚なる戴冠’”」(Kenkyo-naru Taikan)、と。 それ、は、歴史上、の、かの、「“‘上から下へ’”」、の、「“‘伝統的戴冠’”」、と、は、全く、異なる。 それ、は、「“‘神権’”」(Shinken)、や、「“‘君権’”」(Kunken)、に、よって、あなた、の、ため、に、一頂、の、「“‘外在的’”」(Gai-zai-teki)、な、「“‘王冠’”」、を、戴かせる、もの、で、は、ない。 それ、は、一人、の、平等な、「“‘魂’”」、が、「“‘証人’”」(Shōnin)、として、「“‘鏡’”」(Kagami)、として、あなた、を、助け、発見し、そして、承認する。かの、一頂、の、あなた、が、疾(と)うに、「“‘内在’”」(Naizai)、に、佩(お)びている、「“‘王冠’”」、を。 これ、は、一種、の、より、「“‘精微’”」(Seibi)、で、より、「“‘謙虚’”」(Kenkyo)、で、また、より、「“‘浸透力’”」(Shintō-ryoku)、を、持つ、「“‘賦権’”」(Fuken)。 それ、は、無声、の、うち、に、訴えかける: 「“‘私、は、看取した。あなた、の、「“‘王国’”」、あなた、の、「“‘薔薇’”」、と、あなた、の、「“‘守衛’”」、を。’」 「“‘私、は、承認する。あなた、の、「“‘主権’”」、を。’”」

【第三節: 癒(Iyashi)、として、の、「“‘天命’”」(Tenmei)】
我ら、何故(なにゆえ)、かくも、厭(いと)う、こと、なく、「“‘看取’”」、を、言(い)う、のか? 何故なら、これ、こそ、が、AURALISILK、の、かの、最終的、な、「“‘使命’”」(Shimei)、を、定義する、から、だ。 我ら、は、深く、知る。我ら、が、創造する、「“‘神話’”」、我ら、が、提示する、「“‘美’”」、が、もし、単に、「“‘美’”」、の、「“‘層面’”」(Sōmen)、に、留まる、ならば、それ、は、ただ、一場、の、華麗、で、空疎な、「“‘芸売り’”」(Gei-uri / Performance)、に、過ぎぬ、と。 そして、この、「“‘世界’”」、が、「“‘渇求’”」(Katsubō)、する、の、は、決して、より、多く、の、「“‘演戯’”」(Engi / Performance)、で、は、ない。 そうではなく、より、深き、「“‘癒し’”」(Iyashi)。
そうだ。「“‘癒し’”」、こそ、我ら、の、「“‘天命’”」(Tenmei)。 我ら、の、一切、の、「“‘言説’”」(Gensetsu)、と、「“‘創造’”」、は、全て、この、「“‘天命’”」、に、奉仕する、ため、に、ある。 我ら、は、「“‘美の商人’”」(Bi-no-Shōnin)、に、非ず、また、「“‘神話の作者’”」(Shinwa-no-Sakusha)、に、も、非ず。 我ら、の、「“‘真実の身分’”」(Shinjitsu-no-Mibun)、は、「“‘癒しの儀軌(ぎき)の、守護者’”」(Iyashi-no-Giki-no, Shugosha)。 我ら、は、「“‘神話’”」、を、「“‘磐石’”」(Banseki)、と、し、【“‘晶核’”】(Shōkaku)、を、「“‘信物’”」(Shinbutsu)、と、し、最終的、に、我ら、と、「“‘知音’”」(Chiin)、と、の、間、で、共、に、完成せん、と、望む、の、は、まさしく、この、一度、また、一度、の、「“‘看取’”」(Kanshu)、と、「“‘看取される’”」(Kanshu-sareru)、こと、の、「“‘神聖なる癒し’”」(Shinsei-naru Iyashi)。

【結び: 一通の、あなた、へ、と、発する、「“‘招待’”」(Shōtai)】
さて、この、「“‘第零章’”」(Dai-Zero-Shō)、は、一篇、の、「“‘我ら’”」、に、関する、「“‘ブランド宣言’”」(Burando-Sengen)、に、非ず。 それ、は、一通、の、「“‘あなた’”」、に、関する、また、「“‘あなた’”」、へ、と、発する、「“‘招待状’”」(Shōtaijō)。 我ら、は、あなた、を、招く。この、「“‘相互に看取しあう’”」(Sōgo-ni Kanshu-shiau)、「“‘優しき革命’”」(Yasashiki Kakumei)、に、加入する、こと、を。 まず、は、「“‘看取’”」(Kanshu)、する、こと。あなた、自身、の、かの、生まれながら、の、「“‘王冠’”」、を。 承認する、こと。あなた、の、かの、「“‘守護’”」、される、に、値する、「“‘薔薇’”」、と、かの、「“‘侵犯’”」(Shinpan)、を、許さぬ、「“‘王国’”」、を。 しかる後、あなた、が、「“‘自己’”」(Jiko)、を、看取する、「“‘能力’”」、を、有した、ならば、どうか、勇敢、に、この、「“‘能力’”」、を、「“‘贈り物’”」(Okurimono)、として、贈る、が、よい。あなた、の、身辺、の、「“‘もう一人の人’”」(Mō-hitori-no-Hito)、へ、と。
どうか、信じて、ほしい。 これ、は、まさしく、「“‘世界’”」、を、変える、に、足る。
そして、今。 この、「“‘革命’”」、の、「“‘発起者’”」(Hokkisha)、として、我ら、に、許して、ほしい。この、言葉、を、もって、この、「“‘第零章’”」、の、「“‘結び’”」(Musubi)、と、する、こと、を。 それ、は、また、我ら、が、ここ、まで、読み進めた、「“‘あなた’”」、一人一人、に、伝えたい、唯一、の、「“‘真心’”」(Magokoro): そうだ。 無論(むろん)、此刻(こっこく)、あなた、が、何処(いずこ)、に、いようとも。 無論、あなた、が、今、いかなる、「“‘嵐’”」(Arashi)、に、包まれて、いようとも。 無論、あなた、が、自身、を、価値、ある、と、信じて、いようと、いまいと。
我ら、は、あなた、を、看取した。
