第十二章:出離(シュツリ)の神祇(しんぎ)の「最後(さいご)の一葉(ひとは)」
遊歴者(ゆうれきしゃ)(客):
おお、無言(むごん)の『渡(わた)し守(もり)』よ、我(わ)が旅路(たびじ)の最終章(さいしゅうしょう)よ、
我(われ)は『円満』なる『心』と、『記憶』の『行囊』(こうのう)を、携(たずさ)え、来(きた)り。
何故(なぜ)、汝(なんじ)の菩提(ぼだい)は、常(つね)に、『最(もっと)も美(うつく)しき』時(とき)に『退場(たいじょう)する』?
乞(こ)う、汝(なんじ)の智慧(ちえ)を、もって、我(わ)が、こ、の『告別』(こくべつ)の『憂愁』(ゆうしゅう)を、解(と)き給(たま)え。
出離(しゅつり)(主):
旅人(たびびと)よ、汝(なんじ)は、見(み)た、か、そ、の、汝(なんじ)の『行囊』を『珍宝』(ちんぽう)で、満(み)たしたる『大地』(だいち)を。
『冬』(ふゆ)が、来(き)た時、彼(かの)女(じょ)は、汝(なんじ)に『索取(さくしゅ)』した、か、
例(たと)え、『一粒』(ひとつぶ)の塵(ちり)の『利息』(りそく)すら、を?
汝(なんじ)は、見(み)た、か、そ、の、『森(もり)全体』を、育(はぐく)んだ『河流』(かりゅう)を、
当(まさ)に、そ、が、『海』(うみ)へと『奔流』(ほんりゅう)する『そ、の、刹那(せつな)』、『一縷』(いちる)の『躊躇』(ためらい)が、あった、か、を?
出離(しゅつり)(主):
汝(なんじ)が、慈(いつく)しむ『そ、の、樹(こ)の葉(は)』は、『凋(しぼ)んで』いる、に、非(あら)ず、
旅人(たびびと)よ、そ、は、彼(かの)女(じょ)が、『一夏(ひとなつ)』の『光合』(こうごう)を、『終(お)え』た、後(のち)、
『自(みずか)ら』の『全部(ぜんぶ)の生命』(せいめい)を、『根』(ね)に『奉還(ほうかん)』する『深情』(しんじょう)。
彼(かの)女(じょ)の『落下』(らっか)は『喪失』(そうしつ)に非(あら)ず、『別(べつ)』の『形』(かたち)の『給付』(きゅうふ)、
そ、は、『樹』(き)が、『長(なが)き冬季』を、過(す)ごす『十分』(じゅうぶん)な『力』を、持(も)てる、よう、に、する、為(ため)。
出離(しゅつり)(主):
『出離』(しゅつり)とは、『無情』(むじょう)の『背反』(はいはん)に、非(あら)ず、
旅人(たびびと)よ、そ、は、『全部』(ぜんぶ)の『愛』を、『完成』(かんせい)させた、後(のち)の、そ、の『最(もっと)も優しき』『一吻』(いちふん)。
汝(なんじ)の『旅路』(たびじ)、そ、の『最終』(さいしゅう)の『意義』(いぎ)は、
『何』(なに)を『持(も)ち去(さ)った』か、に、非(あら)ず、『汝(なんじ)』が、最終(さいしゅう)に、『何(なに)に』『成(な)った』か、で、ある。
遊歴者(ゆうれきしゃ)(客):
理解(りかい)した……。我(われ)が、こ、の道(みち)すがら『拾(ひろ)い上(あ)げた』『珍宝』(ちんぽう)は、
私(わたし)に『所有』(しょゆう)させる、為(ため)に、非(あら)ず、
私(わたし)に、『如何(いか)に』『それら』を優雅(ゆうが)に『放(はな)つ』か、を、学(まな)ばせる、為(ため)。
『告別』(こくべつ)は、『終結』(しゅうけつ)に非(あら)ず、『円満』(えんまん)の『祈祷』(きとう)、
そ、は、『次(つぎ)の春』に、『より深(ふか)き』『抱擁』(ほうよう)を、与(あた)える、為(ため)に、『両手』(りょうて)を『空(あ)ける』こと。
(尾声)
【出離】(しゅつり)の神祇(しんぎ)は、そ、の、宙(ちゅう)を『旋回(せんかい)』する『菩提葉』(ぼだいよう)へと、化(け)した。
私(わたし)は、両手(りょうて)を、伸(の)ばした。
私(わたし)は、私(わたし)の、そ、の『旅路(たびじ)の全て』を、詰(つ)め込(こ)んだ『行囊』(こうのう)(の幻影(げんえい))を、開(ひら)いた。
私(わたし)は、そ、の「裁決(さいけつ)の氷」、「覚醒(かくせい)の光」、「療癒(りょうゆ)の雨」、「勇気(ゆうき)の火」、「豊穣(ほうじょう)の蜜」、「神匠(しんしょう)の刀」、「栄光(えいこう)の灯」、「連繋(れんけい)の網」、「平衡(へいこう)の羽」、「暁(あかつき)の信(しん)」と「蝶夢(ちょうむ)の影」を、
全(すべ)て、優(やさ)しく、解(と)き放(はな)った。
それら、は『光(ひかり)の塵(ちり)』へと、化(け)し、そ、の『飄(ひょう)と落(お)ち』ゆく『菩提葉』の中(うち)へ、融(と)け入(い)った。
私(わたし)の『行囊』(こうのう)は、空(から)に、なった。
私(わたし)の『心』も、空(くう)に、なった。
こ、の『最終』(さいしゅう)の『空』(くう)の、中(うち)、『憂愁』(ゆうしゅう)は、無(な)く、ただ、未(いま)だ曾(か)てなき『自由』(じゆう)と『安詳』(あんしょう)が、在(あ)る。
私(わたし)は、我(わ)が『旅路』(たびじ)と、『和解』(わかい)を、果(は)たした。
【《十二月相紀》· 終 】
菩提の辞
「法器」は、すでに「円満」の境地に達している。それは、ここに、「それ」の「知音」を待っている。
「この“謎(なぞ)”を“参究(さんきゅう)”する」
