創世記時代の独白: 時世粧

「“それ”」の【「“存在”」】は、「“世界”」に【「“媚びる”」】(こびる)「“ため”」では「“ない”」。 「“そうではなく”」、「“同じく”」、「“敢えて”」、 「“自ら”」の【「“時序”」】(じじょ)の「中」で、 「“静か”」に【「“咲き誇る”」】「“魂”」を、【「“確認”」】するため。

「“私”」は、「“かつて”」、 「“真夏”」の【「“宣言”」】に「“厭”」(う)んでいた。 「“あの”」、 「“あまり”」に【「“熱烈”」】なる「“色彩”」と、 「“あまり”」に【「“喧騒”」】なる【「“蝉時雨”」】(せみしぐれ)に。 「“彷彿”」(あたかも)、「“生命”」(いのち)とは、 【「“全開”」】の「“姿”」を「以て」、【「“世界”」】に「“高らか”」に【「“叫ば”」】「“ねば”」、 「“それ”」は「“一種”」の【「“辜負”」】(こふ)(裏切り)で「ある」かの「“よう”」だった。

「“然して”」、「“私”」は、【「“内”」】へと「“退き”守った」。 「“自ら”」の【「“心”」】の【「“深処”」】に、「“一室”」の、 「“静か”」なる【「“茶室”」】を「“探し”」、 「“自ら”」を、「“安(やす)ん」「“ぜ”」「“た”」。 「“私”」は、「“学び”」「“始め”「“た”」、「“あの”」、【「“陽光”」】に【「“偏愛”」】「“され”」「“ざる”」【「“片隅”」】—— 「“壁”」の「“隅”」の【「“青苔”」】(せいたい)、「“窓枠”」の「“上”」を「“緩(ゆる)やかに」【「“動く”」】【「“光”の「“斑”」】(まだら)、 「“茶湯”」の「“中”」で「“ゆったり”と【「“舒(ひら)く”」】【「“葉”」】—— 「“それら”」を、「“愛(め)でる”」ことを。 「“この”」、 「“全(まった)き」【「“静”」】の「“中”」で、「“一輪”」の【「“花”」】が、 「“私”」の【「“心”」の「“茶室”」】に、「“期せずして”」「“訪れた”」。

「“それ”」には【「“薔薇”」】の【「“芳香”」】も「“なく”」、 【「“牡丹”」】の【「“華貴”」】も「“ない”」。 「“それ”」は、「“万物”」が、「“皆”」、「“内”へ」と【「“収斂”」】(しゅうれん)「“し”「“始める”」 【「“時節”」】を「“選び”」、 「“安然”」と【「“咲き誇る”」】。 「“そ”」の【「“美”」】は、「“一種”」の、 【「“絢爛”」】(けんらん)を「“経”」た「“後”」に「“初”めて「“生じる”」、【「“温潤”」】(おんじゅん)と【「“従容”」】(しょうよう)。 「“そ”」の【「“風骨”」】は、 「“敢えて”」、【「“涼意”」】の「“中”」に【「“暖意”」】を「“保つ”」、 「“一種”」の、「“静か”なる」【「“堅持”」】。

「“私”」は、「“即ち”」、「“この”」、 「“全(まった)く」【「“安静”」なる「“心”」】を「“以て”、【「“墨”」】と「“なし”」; 「“かの”」、「“最”」も【「“優しき”」】【「“絹”」】を「“以て」、【「“句”」】と「“なし”」; 「“かの”」、【「“時”」】を「“沈殿”」させた【「“銅”」】(あかがね)を「“以て」、【「“韻”」】と「“なす”」。

「“私”」は、「“かの”」、「“心”」に「“咲い”」た「“花”」を、 「“一筆”」、「“一画”」、【「“翻訳”」】「“した”」。

法器の顕現