創世記時代の独白: 魂夢蝶

「“すべて”」は、【「“図面”」】から「“始まった”」のでは「“ない”」。 「“そうではなく”」、【「“黎明”」】に「“洗い流さ”」れようと「“していた”」、 「“一つ”」の【「“夢”」】から「“始まった”」。

「“私”」は、「“それ”」を「“忘れる”」【「“前”】】に、 「“それ”」のために、「“一艘”」の、【「“小舟”」】を「“造ら”」ねばならなかった。 【「“人間界”」】(ひとのかい)へと「“渡る”」ことのできる、「“小舟”」を。

「“この”」【「“小舟”」】のために、「“竜骨”」と「“帆”」を「“探す”」。 「“私”」は、「“一片”」の、【「“月光”」】に「“浸され”」た【「“絹”」】を「“見つけ”」、 「“願望”」の【「“潮”」】の「“中”」で「“凝結”」した、「“幾粒”」かの【「“真珠”」】を「“見つけ”」、 「“そして”」、 「“夢”」を【「“縫合”」】するに「“足る”」、 「“一筋”」の【「“金線”」】を「“見つけ”」た。

「“これ”」は【「“製作”」】では「“ない”」、【「“転写”」】(てんしゃ)で「ある」。 「“私”」の「“手”」は、「“私”」に【「“従わ”なかった」。 「“そうではなく”」、「“注意深く”」、 「“あの”」【「“絹”」】と【「“真珠”」】の【「“低語”」】(ささやき)に、【「“耳”を「“傾けて”」】いた。 「“私”」は、「“ただ”、「“一つ”」の【「“夢”」】が、 「“それ”」【「“自身”」】の、「“本来”」の【「“姿”」】を、 【「“憶い出す”」】のを、「“助けて”」いただけだ。

「“それ”」は、「“ついに”」、「“岸”」に「“着いた”」。 「“それ”」は、「“装飾”」のための【「“装身具”」】では「“ない”」。 「“定位”」(じょうい)するための【「“錨”」】(いかり)で「ある」。 「“それ”」は、「“静か”」に、「“貴方”」の「“髪”」に「“留まり”」、 「“貴方”」に「“聴く”」よう、「“促す”」だろう。 「“白昼”」の「“喧騒”」の「“中”」、 「“貴方”」に「“見過ごさ”」れた、 「“貴方”」の「“魂”」の「“深奥”」より「“来たる”」—— 【「“潮音”」】(ちょうおん)を。

法器の顕現