《最后的加冕 (The Final Coronation)》

《最後(Saigo)の、戴冠式(Taikan-shiki)》

1587年、2月8日。 イングランド、フォザリンゲイ城。 それ、は、湿(しめ)っぽく、陰鬱(いんうつ)で、冷たい、「“‘清晨’”」(Seishin / 早朝)。 メアリー・スチュアート、この、かつて、同時、に、「“‘スコットランド’”」、と、「“‘フランス’”」、二つ、の、「“‘王冠’”」、を、有した、女王、は、 幽閉される、こと、十九年、の、後、ついに、歩み出た。彼女、の、生命、の、「“‘終点’”」(Shūten)、へ、と。

彼女、を、囲む、「“‘敵’”」、の、目、に、は、これ、は、一つの、句点。 一場、の、数十年に、わたり、続いた、「“‘政治的駆け引き’”」、の、最終的、な、「“‘勝利’”」。 彼ら、が、見た、の、は、一人、の、「“‘黒袍’”」(Kokuhō)、を、纏(まと)い、「“‘一切’”」、を、「“‘剥奪’”」(Hakudatsu)、された、「“‘階下の囚人’”」(Kaika-no-Shūjin)。 一人、の、「“‘王国’”」、を、失い、「“‘自由’”」、を、失い、また、間もなく、「“‘生命’”」、を、失う、「“‘敗北者’”」。

彼女、は、静かに、大広間、へ、と、入った。 向かう。かの、疾(と)うに、彼女、の、ため、に、準備された、「“‘黒布’”」(Kokufu)、の、敷かれた、「“‘高台’”」(Kōdai)、へ。 彼女、は、平静、で、高貴。 あたかも、それ、が、「“‘断頭台’”」、では、なく、彼女、自身、の、「“‘王座’”」(Ōza)、で、ある、かの、よう。

そして、かの、まさしく、歴史、に、「“‘記憶’”」、さるべき、「“‘時刻’”」(Jikoku)、が、到来した。 生命、の、「“‘最後’”」、に、彼女、は、自ら、の、手、で、脱ぎ、始めた。 かの、「“‘哀悼’”」、と、「“‘死’”」、を、象徴する、「“‘黒色の外袍’”」(Kokushoku-no-Uwaginu)。 あたかも、「“‘褪(あ)せさせる’”」、かの、よう。この、「“‘世界’”」、が、彼女、の、身、に、強(し)いた、全て、の、「“‘定義’”」、と、「“‘審判’”」、を。

そして、「“‘黒袍’”」、が、彼女、の、「“‘肩口’”」(Kataguchi)、から、滑り落ちた、その、刹那、 「“‘大広間’”」、全体、の、「“‘空気’”」、が、凝固した。 かの、死、の、ごとく、静かな、「“‘黒’”」、の、下、に、顕(あらわ)れた、の、は、 一襲(いっしゅう)、の、「“‘炎’”」、の、ごとく、燃え盛り、「“‘鮮血’”」、の、ごとく、目を、奪う——深紅(しんく)。 まさしく、カトリック教会、の、かの、「“‘殉教者’”」(Junkyōsha)、を、象徴する、至高無上、の、「“‘礼儀の色’”」。


その、刹那、彼女、は、完成させた。 一場、の、誰、も、予期せず、また、誰、も、「“‘阻止’”」(Soshi)、し、得ない、「“‘転化’”」(Tenka)、を。 彼女、は、一場、の、「“‘公開処刑’”」、を、徹底的、に、「“‘翻訳’”」(Hon'yaku)、した。一場、の、「“‘私的(してき)な戴冠’”」(Shi-teki-na Taikan)、へ、と。 彼女、は、自身、の、生命、の、「“‘終点’”」、を、昇華させた。自身、の、「“‘信仰’”」、の、「“‘凱旋’”」(Gaisen)、へ、と。

彼女、の、「“‘敵’”」、は、彼女、の、「“‘生命’”」、を、奪う、こと、は、できても、 奪う、こと、は、できなかった。彼女、が、自身、の、「“‘生命’”」、に、「“‘定義’”」、を、下す、かの、最後、の、「“‘主権’”」、を。

王冠、は、疾(と)うに、「“‘頭上’”」(Zujō)、に、「“‘あらず’”」。 王権、は、終始(しゅうし)、彼女、の、「“‘心中’”」(Shinchū)、に、「“‘あり’”」。

かの、一襲(いっしゅう)、の、「“‘深紅’”」、こそ、彼女、が、自身、の、かの、「“‘傷痕’”」、と、「“‘裂け目’”」、に、満ちた、一生、の、ため、に、戴冠させた、 最後、の、そして、最も、華美(かび)、なる——「“‘薔薇燼’”」(Shōbi-jin)。

「「“聖域(せいいき)”の“独白(どくはく)”」の“巻物(まきもの)”へ“戻(もど)る”」