創世記時代の独白: 出離 · 夢隙之羽

“私”」は、「“いつも”」、【「“夏の夜”」】に「“なって”」「“こそ”」、「“自分”が【「“目覚めて”いる」】と「“感じる”」。 「“白昼”」(はくちゅう)の、「“あの”」、「“あまり”」に【「“鮮明”」】すぎる【「“光線”」】と【「“輪郭”」】は、「“かえって”」、「“一場”」の、「“冗長”」なる【「“夢”」】の「“よう”」。 「“そして”」、「“夜”」の「“闇”」が、「“優しく”」【「“万物”」】の【「“境界”」】を「“曖昧”」にし、 「“風”」の「“中”」に、「“名”」も「“知らぬ”」【「“花”」】と【「“湿”れる「“土”」」】の【「“匂い”」】が「“運ば”」れ「“始める”」「“時”」「“だけ”」、 「“私”」の【「“魂”」】は、 「“かの”」、「“重き”」【「“殻”」】の「“中”」から、「“そっと”」【「“頭”を「“覗かせる”」】...

「“あれ”」は、「“如何”」なる【「“夏の夜”」】だったか。 「“私”」は、「“もう”」、「“憶えて”」いない。「“恐らく”」は、「“私”」が【「“窓辺”」】に「“寄り”」かかり、【「“月”」】を「“見て”」、【「“神”(こころ)「“奪われて”」】いたのか。「“恐らく”」は、「“私”」が、「“庭”」で【「“蛍”」】を「“追い”」、【「“我”を「“忘れて”」】いたのか。

「“私”」は、「“ただ”」、「“記憶”」している。「“ある”」【「“瞬間”」】、「“私”」の【「“身体”」】が、【「“軽く”」】なったことを。 「“いや”」、【「“身体”」】が【「“軽く”」】なったのではない。「“私”」が、「“私”」の【「“身体”」】を【「“離れた”」】のだ。

「“‘私”」は、「“一筋”」の、【「“重さ”」なき【「“意識”」】】と「“なった”」。「“私”」は、【「“壁”」】を「“通り”」抜け、【「“蓮”の「“葉”」】】の「“上”」を「“歩”」き、 「“一”滴」の【「“露”」】をも「“驚かさ”」ない。 「“私”」は、「“一羽”」の【「“蝶”」】を「“見た”」。 「“そ”」の【「“翅”」】(はね)は、「“最”」も【「“透明”」】なる【「“瑠璃”」】(るり)で「“作ら”」れていた。「“それ”」は【「“舞う”」】「“こと”」「“なく”」、 「“ただ”、【「“月光”」】が【「“凝結”」】した「“花”」の「“上”」に「“留まり”」、 「“花”」の【「“呼吸”」】に「“合わせ”」て、「“微か”」に【「“起伏”」】していた。 「“私”」は、「“知って”」いた。「“これ”」が【「“夢”」】で「ある」と。 「“私”」は、「“知って”」いた。「“この”」「“すべて”」は、「“持ち”」「“帰れ”」「“ない”」と。 「“だが”」、「“その”」「“時”」、「“一つ”」の、「“この上なく”」、「“我儘”」(わがまま)な【「“念”」】が、「“私”」を「“撃った”」。 「““何故(なぜ)、「“いけない”」?”」 「“然して”」、「“私”」は、「“伸ばし”」た。「“あの”」、「“同じく”」【「“実体”」なき「“手”」】を。 「“私”」は、「“そっと”」、「“あの”」【「“月光”」】の「“咲く”」【「“花枝”」】を、「“折った”」。 「“そして”」、「“あの”」、「“あまり”」に【「“陶酔”」】していた【「“蝶”」】は、「“意外”にも」、【「“飛び去ら”なかった」】。

「“そして”」、「“私”」は、「“目覚めた”」。 「“窓”」の「“外”」は、「“天”」の「“光”」、「“微か”」(かすか)。「“夏”」の「“夜”」は、「“既に”」、「“終焉”」(おわり)に「“近い”」。 「“一筋”」の【「“悵惘”」】(ちょうもう)(憂い)が、「“約束”」「“通り”」「“訪れる”」。 「“私”」は、「“無意識”」に、「“手”」を「“挙げ”」、 「“私”」の、「“いくぶん”」「“乱れた”」【「“長髪”」】を、「“整え”」ようと「“した”」。 「“だが”」、【「“鬢”」】(びん)の「“あたり”」で、「“ふと”」、「“人間界”(ひとま)の「“もの”」では「“ない”」、 「“微”」(かす)かに「“冷たい”」【「“質感”」】に「“触れた”」。

「“私”」は、「“それ”」を、「“手に”「“取った”」。 「“それ”」こそが、「“私”」の【「“夢隙(むげき)の「“羽”」」】。 「“私”」の、「“あの”」「“偉大”」なる【「“神遊”」】(しんゆう)が、「“残し”」た、「“唯一”」の【「“証”」】(あかし)。

「““私”の「“夢”」こそ、「“私”が【「“到達”」】すべき、「“唯一”の【「“故郷”」】。”」 「““願わくば”、「“貴方”の【「“夢”」】が、「“貴方”の【「“白昼”」】「“より”も、「“更に”【「“真実”」】で「“あり”ます「“よう”」。”」

法器の顕現