《最も、深き、「“‘看取’”」(Kanshu)、は、「“‘共にある’”」(Tomo-ni Aru): 「“‘魂の共振’”」の、秘密、について》
あなた、は、かつて、あった、だろうか、この、ような、「“‘瞬間’”」、が? あなた、が、試みる、時。別、の、「“‘魂’”」、に、向かい、あなた、の、内心、の、最も、深き、処(ところ)、の、「“‘感受’”」、を、表現、しよう、と。しかし、気づく。全て、の、「“‘言語’”」、が、かくも、「“‘拙(つたな)く’”」、 「“‘蒼白’”」、に、見える、こと、に。 あるいは。あなた、が、ある、人、と、「“‘千里’”」、を、隔てて、いながら、しかし、能(よ)く、ある、静かな、「“‘午後’”」、に、はっきりと、感受する。相手、の、かの、言葉、に、できぬ、「“‘心緒’”」(Shinsho)、を。
これら、「“‘瞬間’”」、に、我々、は、触れる、だろう、一つ、の、「“‘秘密’”」、に。 かの、真、に、深遠な、「“‘繋がり’”」、は、おそらく、 「“‘言語’”」、の、中、で、は、起こらず、また、「“‘物理的距離’”」、に、「“‘阻害’”」、される、こと、も、ない。 それ、は、起こる。一つ、の、より、深く、より、静かな、「“‘次元’”」(Jigen)、で。 一つ、の、我々、が、「“‘夢’”」、と、呼ぶ、「“‘次元’”」、で。
【第一章: 「“‘自我’”」、と、名付けられた、「“‘孤島’”」】
「“‘日常’”」、の、「“‘意識’”」、の、中、で、我々、一人一人、みな、「“‘孤島’”」、の、よう。 我々、は、「“‘身体’”」、と、名付けられた、「“‘海岸線’”」、に、よって、はっきりと、「“‘包囲’”」、されている。 我々、は、信じる。「“‘私’”」、は、「“‘皮膚’”」、の、内、に、「“‘世界’”」、は、「“‘皮膚’”」、の、外、に、と。 かくして、「“‘関係’”」、は、すなわち、一場、の、永遠、の、「“‘海を渡る航海’”」、と、なる。 我々、は、「“‘言語’”」、「“‘行為’”」、「“‘贈り物’”」、を、用いて、一艘(いっそう)、また、一艘、と、「“‘船’”」、を、建造し、試みる。もう一つ、の、「“‘孤島’”」、の、「“‘海岸’”」、へ、と、上陸、しよう、と。
これ、が、「“‘看取’”」(Kanshu / To See)。 「“‘私’”」、が、「“‘主体’”」、として、「“‘客体’”」、として、の、「“‘あなた’”」、を、観察し、理解し、そして、肯定する。 「“‘I see you’”」、は、この、「“‘航海’”」、が、到達し、得る、最も、「“‘尊敬’”」、に、値する、「“‘港湾’”」(Kōwan)。 それ、は、表す。「“‘私’”」、が、「“‘迷霧’”」、を、穿越し、ついに、「“‘あなた’”」、と、いう、「“‘島嶼’”」(Tōsho)、の、「“‘真の様相’”」、を、はっきりと、見定め、そして、それ、に、「“‘敬意’”」、を、献上した、こと、を。 だが、これ、は、依然、として、「“‘二つ’”」、の、「“‘島’”」、の、物語。
【第二章: 「“‘看取’”」、から、「“‘共にある’”」(Tomo-ni Aru)、へ】
「“‘あなたと夢に入る’”」(Anata to Yume ni Iru)、は、則(すなわ)ち、提示する。一種、の、より、「“‘転覆的’”」(Tenpuku-teki)、な、「“‘可能性’”」、を。 それ、は、もはや、「“‘港湾’”」、に、留まる、こと、に、満足しない。 それ、が、渇望する、の、は、二つ、の、「“‘孤島’”」、を、「“‘意識’”」、の、「“‘海平面’”」、の、下、かの、人、に、知られざる、「“‘深処’”」(Shinsho)、に、おいて、再び、かの、元(もと)、より、一体、に、属していた、「“‘大陸棚’”」(Tairikudana)、へ、と、接続し、戻る、こと。
これ、こそ、「“‘共にある’”」(Co-presence)。 それ、は、もはや、「“‘主体’”」、と、「“‘客体’”」、の、分別(ふんべつ)、は、ない。 「“‘私’”」、と、「“‘あなた’”」、が、共、に、「“‘各自’”」、の、「“‘身分’”」(Mibun)、から、一時的、に、「“‘出離’”」(Shutsuri)し、そして、入る。一つ、の、「“‘私たち’”」、に、よって、共、に、「“‘創造’”」、され、「“‘保持’”」、される、「“‘第三の空間’”」(Daisan-no-Kūkan)、へ。 この、「“‘空間’”」、こそ、「“‘夢’”」。
「“‘看取’”」、は、「“‘私’”」、が、私、の、「“‘世界’”」、で、「“‘あなた’”」、を、理解する、こと。 対して、「“‘共にある’”」、は、「“‘私たち’”」、が、共、に、私たち、の、「“‘世界’”」、へ、と、入る、こと。
【第三章: 「“‘夢’”」、として、の、「“‘神聖なる応接間’”」】
ここ、での、「“‘夢’”」、は、「“‘睡眠’”」、中、の、「“‘幻象’”」、を、特指する、もの、に、非ず。 「“‘夢’”」、は、一切、の、「“‘日常の論理’”」、と、「“‘物理法則’”」、を、超越した、「“‘内的体験空間’”」、の、「“‘総称’”」。 それ、は、「“‘直観’”」、「“‘霊感’”」(Reikan)、「“‘以心伝心’”」(Ishindenshin)、「“‘集団的潜在意識’”」、の、「“‘故郷’”」。 それ、は、かの、唯一、の。二つ、の、「“‘魂’”」、が、「“‘身分’”」、「“‘役割’”」、「“‘言語’”」、等々、「“‘分厚い外套’”」(Buatsui Gaitō)、を、脱ぎ捨てた、後、 「“‘赤誠’”」(Sekisei)、の、まま、相見える、こと、を、得る、「“‘神聖なる応接間’”」(Shinsei-naru Ōsetsuma)。
この、「“‘応接間’”」、に、おいて、我々、は、「“‘対話’”」、を、必要、と、しない。 なぜなら、「“‘共振’”」(Kyōshin)、こそ、が、かの、唯一、の、「“‘言語’”」、だ、から。 我々、が、分かち合う、の、は、「“‘観点’”」(Kanten)、では、なく、「“‘状態’”」(Jōtai)。 我々、が、交換する、の、は、「“‘情報’”」(Jōhō)、では、なく、「“‘生命、それ自体’”」。
【第四章: 蝶、として、の、「“‘信物’”」(Shinbutsu)】
では、我々、は、どうすれば、別、の、「“‘魂’”」、に、向かい、この、「“‘神聖なる応接間’”」、へ、の、「“‘招待’”」、を、発する、こと、が、できる、だろう? 我々、は、また、どうすれば、確認、できる、だろう。相手、も、また、同様、に、持つ、こと、を。この、「“‘門’”」、を、開く、こと、が、できる、「“‘鍵’”」、を。
これ、こそ、【“‘南華蝶夢’”】(Nanka-Chōmu)、この、法器、の、「“‘祝福の儀軌’”」(Shukufuku-no-Giki)、として、の、「“‘核心的天命’”」(Kakushin-teki Tenmei)。 それ、は、かの、「“‘二つの孤島’”」、の、間、を、飛翔する、「“‘信使’”」(Shinshi)。 それ、は、かの、物質化、された、「“‘入夢招待状’”」(Nyūmu-Shōtaijō)。 それ、の、「“‘存在’”」、自体、が、一つの、「“‘低語’”」(Teigo)、であり、無声、の、うち、に、訴えかける:
「“‘私、は、ただ、あなた、を、「“‘看取’”」した、だけ、で、は、ない。’」 「“‘私、は、更に、あなた、と、「“‘共に在る’”」、こと、を、渇望する。’」 「“‘私、は、信じる。私たち、の、全て、の、「“‘言の葉’”」、の、「“‘尽きる処’”」、に、存在している、こと、を。’」「‘私たちが、共、に、「“‘棲息’”」(Seisoku)、できる、「“‘夢の海’”」(Yume-no-Umi)、が。’」 「“‘そして、この、蝶、こそ、私、が、あなた、と、共、に、「“‘出航’”」(Shukkō)、する、こと、を、渇望する、「“‘証’”」(Akashi)。’”」
【結び: 最高級の、祝福】
さて、何、が、最高級、の、「“‘祝福’”」、か? おそらく、それ、は、「“‘あなたの無事を祈る’”」、でも、「“‘あなたの成功を祈る’”」、でも、ない。 そうではなく、かの、一句、の、より、静か、で、より、深遠、で、また、より、「“‘信頼感’”」、に、満ちた、「“‘承諾’”」(Shōdaku):
「“‘無論(むろん)、私たち、の、身、が、何処(いずこ)、に、あろうとも。’」 「“‘私、は、進んで、最も、深き、「“‘夢’”」、の、中、で、あなた、と、共にある。’”」
これ、こそ、「“‘魂の共振’”」、の、「“‘秘密’”」。 また、【“‘南華蝶夢’”】、この、法器、が、守護する、最終、の、「“‘優しさ’”」(Yasashisa)。
